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ちょっと待っておじさんに学ぶ [雑感]

福井県の東尋坊…

断崖絶壁の海岸線はサスペンスドラマの名所だ。

いわゆる自らの命を投げ出す人々の好む場所というわけで…。

そんな東尋坊で自らの命を投げ出そうとしている(そう見える)人に声をかけ続けるおじさんがいるという。

その人の名前は茂幸雄さん。

連日の子どものいじめを苦にした問題の報道にちょっとした違和感を感じていた僕に本当の問題を教えてくれているような気がした。



◇誰のせいだと揉める大人たち

今巷ではいじめを告白するノートの記述があったのに救えなかったことで問題が紛糾している。

学校と親の双方の主張に僕は少々あきれていた。

責任のなすりつけ合いにしかならないこの問答に正しい答えなどあるのだろうか?

それよりも肝心なことは、自らの命を絶つほどに苦しんでいた子どもの声に大人たちは気づけなかったということだ。



◇本当に死にたいわけではない

今まで500人以上の人の命を救ってきた茂さんは以前トークショーの場で見回りを通じて気づいたことをこのようにいっている。

「彼らは日没を待って、じっと座って一人シクシク泣いている。みんな、『死んだらいかんよ』と声を掛けてほしいんですよ」

「誰だって死にたくない。(自らの命を自分で絶つという決断は)それでもこれ以上生きていけない、助けてくださいというメッセージなんですよ」と。

茂さんはどんな人でも本当に死にたいなんて思っていないという。

そんな人たちに「死んだらいかんよ」と声をかけ、正気に戻してあげることが大事だともいう。



◇必要なのは本気の心

かつて茂さんが救った人の中には行政に引き渡した後、結果的に自らの命を絶ってしまった人たちもいたという。

茂さんはそのことに対し、こう言っている

「結局は心なんですよ。同情するのではなく、一緒に歩いてあげること。そしてこういう解決方法があるんだとつないであげること。それが大切なんです」

本気で寄り添う心とそれを示し行動することが「助けて」と無言のメッセージを発している人たちには必要なのだ。



起きてしまったことに対して、何が正しくて何が間違っていると論じているのは、

問題の本質がずれてしまっている。

かわいいわが子を失った悲しみや憤りを無視することはできないが、

本来必要なのは、このような形で命を落とすことをどう防ぐのかをもっと真剣に考え行動することなのではないか。

今、世界中がこの「ちょっと待っておじさん」こと茂幸雄さんの行動に注目をしている。

なにより我々日本人の大人はもっと外国人以上にこの「ちょっと待っておじさん」に学ばなければならない。


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