エスカレーター「片側空け」と「歩行禁止」の違和感 [雑感]
こんにちは!
突然ですが、皆さんはエスカレーター歩きますか?
僕は歩いたり歩かなかったりですが、急いでいるときは歩きますね。
そして、歩かない時は左側に立ち、急いでいる人のために右側を空けておきます。
いたって普通のことだと思いますが、今、エスカレーターは「歩行禁止」が新しいルールと騒がれているようです。
理由は日本エスカレーター協会によると「危険だから」
…
ということです。
これまた協会や管理側の責任回避の常套手段のように聞こえてならないのですが…
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◇危ないから「歩行禁止」
危ないから「歩行禁止」というけれど、どんな時に危険を感じるかを調査した報告に
「歩いている人の鞄などがぶつかる」からという指摘があった。
それをもって危険だから歩行禁止というならば、なぜエスカレーターは2人が並んで立てるほどの幅なのか?
一人用の幅にしてしまえば、わざわざ歩行禁止とうたわなくても立ち止まっている人と、歩いている人の接触はなくなるはずなのに…。
もちろん危険はそれだけではないだろう。
しかし、そのほかに考えられる「歩いている」が故の「危険」はエスカレーターに限ったものではない。
階段や歩行スぺースでも十分あり得る話で、「歩行禁止」などどうたうところなどない。
そもそもエスカレーターの機械上は真ん中に立とうが、端に立とうが故障につながることなどないのだというではないか?
◇善意の「片側空け」
日本でのエスカレーターの片側空けは大阪が発症だという。
阪急梅田駅移転でエスカレーターが長くなったのきっかけに、急ぐ人のために片側を開けるのを呼び掛けたのがきっかけだそうだ。
その後、大阪万博の際、英国の様式をまねて右側に立ち、左側を空けるようになった(東京など関東圏では左側に立ち右側を空ける)のは有名な話。
そして、その文化が根付いたのは日本人が善意の習慣を好むからであって、決していままで強制で広がったわけではないのだ。
「危険」だから「歩行禁止」は言えても、「善意の片側空け」はおやめくださいとは言えないのは当たり前の話である。
◇利用者を無視したルールは無意味
管理側の都合のみで設けたルールほど実用性に乏しいものはない。
使うのは利用者であって管理者ではないからだ。
利用者に浸透しない理屈をいくらさももっともらしく語っても、誰も聞く耳をかさない。
むしろ、利用者の特質を考慮したうえでの「安全」をいかに構築するのか?
それを考えるのが管理側の責任というものなのではないか?
どうしてこんな議論が生まれたのかと不思議に思うが、
エスカレーターの利用者同士の事故に管理側が巻き込まれることが多いのでしょうね。
自己防衛の叫びのような気がしてなりませんが、
そのような姿勢で根付いた文化を覆そうなどとちょっと大それたことし過ぎ…
という違和感を覚えるのは僕だけでしょうか…
突然ですが、皆さんはエスカレーター歩きますか?
僕は歩いたり歩かなかったりですが、急いでいるときは歩きますね。
そして、歩かない時は左側に立ち、急いでいる人のために右側を空けておきます。
いたって普通のことだと思いますが、今、エスカレーターは「歩行禁止」が新しいルールと騒がれているようです。
理由は日本エスカレーター協会によると「危険だから」
…
ということです。
これまた協会や管理側の責任回避の常套手段のように聞こえてならないのですが…
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◇危ないから「歩行禁止」
危ないから「歩行禁止」というけれど、どんな時に危険を感じるかを調査した報告に
「歩いている人の鞄などがぶつかる」からという指摘があった。
それをもって危険だから歩行禁止というならば、なぜエスカレーターは2人が並んで立てるほどの幅なのか?
一人用の幅にしてしまえば、わざわざ歩行禁止とうたわなくても立ち止まっている人と、歩いている人の接触はなくなるはずなのに…。
もちろん危険はそれだけではないだろう。
しかし、そのほかに考えられる「歩いている」が故の「危険」はエスカレーターに限ったものではない。
階段や歩行スぺースでも十分あり得る話で、「歩行禁止」などどうたうところなどない。
そもそもエスカレーターの機械上は真ん中に立とうが、端に立とうが故障につながることなどないのだというではないか?
◇善意の「片側空け」
日本でのエスカレーターの片側空けは大阪が発症だという。
阪急梅田駅移転でエスカレーターが長くなったのきっかけに、急ぐ人のために片側を開けるのを呼び掛けたのがきっかけだそうだ。
その後、大阪万博の際、英国の様式をまねて右側に立ち、左側を空けるようになった(東京など関東圏では左側に立ち右側を空ける)のは有名な話。
そして、その文化が根付いたのは日本人が善意の習慣を好むからであって、決していままで強制で広がったわけではないのだ。
「危険」だから「歩行禁止」は言えても、「善意の片側空け」はおやめくださいとは言えないのは当たり前の話である。
◇利用者を無視したルールは無意味
管理側の都合のみで設けたルールほど実用性に乏しいものはない。
使うのは利用者であって管理者ではないからだ。
利用者に浸透しない理屈をいくらさももっともらしく語っても、誰も聞く耳をかさない。
むしろ、利用者の特質を考慮したうえでの「安全」をいかに構築するのか?
それを考えるのが管理側の責任というものなのではないか?
どうしてこんな議論が生まれたのかと不思議に思うが、
エスカレーターの利用者同士の事故に管理側が巻き込まれることが多いのでしょうね。
自己防衛の叫びのような気がしてなりませんが、
そのような姿勢で根付いた文化を覆そうなどとちょっと大それたことし過ぎ…
という違和感を覚えるのは僕だけでしょうか…
子連れで選挙に行くこと [雑感]
こんにちは!
今日、ニュースを見てびっくりしてしまいました。
子連れで選挙に行くのが可能になるというのだ。
厳密には投票所に子供同伴で入ることができるようになるということなのだが…
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◇なぜ違反?
子連れで投票所に行くことが違反になるという根拠は、公職選挙法第58条に定義されている
選挙人、投票所の事務に従事する者、投票所を監視する職権を有する者又は当該警察官でなければ、投票所に入ることができない。ただし、選挙人の同伴する幼児その他の選挙人とともに投票所に入ることについてやむを得ない事情がある者として投票管理者が認めたものについては、この限りでない。
に抵触するからだという。
投票しないものが投票所に入ることを制限するということは、不正を未然に防ぐためにやむを得ないと言えないこともない。
また投票管理者の裁量で全てダメと言っているわけではないこともわかる。
◇実態は…
僕には9歳と2歳のこどもがいて、選挙の時は毎回連れていく。
僕の行く投票所では、子連れであることで投票所に入ることを断られたためしはない。
むしろ係りの人たちは子供に向かって「ご苦労様」と笑顔で対応してくれている。
しかし、すべての投票所が同じ対応を取ってくれるわけではなさそうだ。
GLAYのボーカルTERUが子連れで投票に行った際、子どもを外で待たされた経験をツイッターで公表したことは有名な話だ。
◇管理側のレベルも問われる話
僕の個人的な意見だが、「法は100%ではない」と思う。
文面にあらわされた内容においては100%正しくなければならないため、かえって文面に書かれていない部分においては、
どう解釈し、運用するのかが需要になってくる。
”運用者”の法解釈のレベルが問われるというわけだ。
今回の「選挙に子供を連れていく」ことにおいては、管理者側のレベルが低ければTERUが経験したようなことが起きてしまうのだろう。
TERUのツイートでは外で待たせるのに不安を覚えると書かれていたが、中学・高校生くらいの子なら管理者側のそのような対応も一定の理解も得られただろう。
しかし、そもそも法の意図をどう解釈するかは選挙そのものにたいする意識のレベルも関係してくると思われる。
多くの人々は子連れで投票に行くことにその弊害よりもメリットの方を感じている。
将来投票にいく大人になるための社会経験とみる親は多い。
僕もその一人だ。
ただ、投票所に子供を連れていく時気を付けなければいけないと思うことがある。
投票所でやっていけないことを含め躾をしっかりやることはもちろんだが、
親が子に、選挙をしっかり子どもに教えることだ。
それをしないで、投票所に子どもが入れる入れないをどうこう言うのは筋違いだと思う。
子どものわかる範囲でいい。
何度も何度も選挙に行き教えてあげれば、投票所の管理者が選挙を妨害する対象とみることはないだろう。
もし、それでも制限するのであれば、毅然と親が対応すればいい。
法の意図、選挙のあり方についてしっかり教えるのだ。
今日、ニュースを見てびっくりしてしまいました。
子連れで選挙に行くのが可能になるというのだ。
厳密には投票所に子供同伴で入ることができるようになるということなのだが…
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◇なぜ違反?
子連れで投票所に行くことが違反になるという根拠は、公職選挙法第58条に定義されている
選挙人、投票所の事務に従事する者、投票所を監視する職権を有する者又は当該警察官でなければ、投票所に入ることができない。ただし、選挙人の同伴する幼児その他の選挙人とともに投票所に入ることについてやむを得ない事情がある者として投票管理者が認めたものについては、この限りでない。
に抵触するからだという。
投票しないものが投票所に入ることを制限するということは、不正を未然に防ぐためにやむを得ないと言えないこともない。
また投票管理者の裁量で全てダメと言っているわけではないこともわかる。
◇実態は…
僕には9歳と2歳のこどもがいて、選挙の時は毎回連れていく。
僕の行く投票所では、子連れであることで投票所に入ることを断られたためしはない。
むしろ係りの人たちは子供に向かって「ご苦労様」と笑顔で対応してくれている。
しかし、すべての投票所が同じ対応を取ってくれるわけではなさそうだ。
GLAYのボーカルTERUが子連れで投票に行った際、子どもを外で待たされた経験をツイッターで公表したことは有名な話だ。
◇管理側のレベルも問われる話
僕の個人的な意見だが、「法は100%ではない」と思う。
文面にあらわされた内容においては100%正しくなければならないため、かえって文面に書かれていない部分においては、
どう解釈し、運用するのかが需要になってくる。
”運用者”の法解釈のレベルが問われるというわけだ。
今回の「選挙に子供を連れていく」ことにおいては、管理者側のレベルが低ければTERUが経験したようなことが起きてしまうのだろう。
TERUのツイートでは外で待たせるのに不安を覚えると書かれていたが、中学・高校生くらいの子なら管理者側のそのような対応も一定の理解も得られただろう。
しかし、そもそも法の意図をどう解釈するかは選挙そのものにたいする意識のレベルも関係してくると思われる。
多くの人々は子連れで投票に行くことにその弊害よりもメリットの方を感じている。
将来投票にいく大人になるための社会経験とみる親は多い。
僕もその一人だ。
ただ、投票所に子供を連れていく時気を付けなければいけないと思うことがある。
投票所でやっていけないことを含め躾をしっかりやることはもちろんだが、
親が子に、選挙をしっかり子どもに教えることだ。
それをしないで、投票所に子どもが入れる入れないをどうこう言うのは筋違いだと思う。
子どものわかる範囲でいい。
何度も何度も選挙に行き教えてあげれば、投票所の管理者が選挙を妨害する対象とみることはないだろう。
もし、それでも制限するのであれば、毅然と親が対応すればいい。
法の意図、選挙のあり方についてしっかり教えるのだ。
タグ:選挙 子連れ